959「自殺未遂〜ピアス事件の真相」

 

今日は9月4日という事で「九死に一生を得た」と感じたエピソードを思い出したので書きますね。

 

私は2013年頃にN区という所に住んでたんですけどそこでのママ友いじめと集団ストーカーがもう凄まじくて…

 

鬱病になり寝込んでいました。

上の子が小一の頃でしたねえ。

 

マンションの五階に住んでたので毎日ベランダに出ては下を見て…「自殺したい…」と思ってました。

 

飛び降りたら 死ねるかも…

 

でも子どもたちのお世話が…

 

それに死んだら パパに迷惑かけてしまう

 

私の血や肉が飛び散って駐車場の車を汚したらいけない

 

そんな事を考えて…ずっと飛び降りる事が出来ずに

 

鬱のまんま 毎日が過ぎていきました

 

鬱になると夜眠る事ができなくなり…

心療内科睡眠薬などをもらうようになりました。

 

4月にそのマンションに引っ越して

その頃から鬱とノイローゼは酷くなっていきました

 

前住んでいた土地でもガスライティングの被害はずっとありましたし…新しい土地へ来てもそれはやむどころかひどくなりました。リアルとネットでカボチャクラブのガスライティングに苦しめられていた私は…毎日絶望感でいっぱいでした。

 

6月になった頃 主人が泊まりでいない夜があり

 

私は自殺を決行するなら今夜だなと思ったんです

 

子供達を寝かしつけた後

 

ためておいた睡眠薬を大量に一気飲みしました

 

ものすごく 怖かったけれど

 

これで、死ねるんだと思って

 

そのまま 布団に入りました

 

そして目を閉じて もう明日目が覚める事はないだろうと思ったのです。

 

🌙

 

しかし しばらくして強い胃痛を感じ私は目が覚めてしまいました。吐き気を催し…私はトイレに駆け込んで、飲んだ薬を全て吐いてしまいました。

 

吐いた後 私は

 

「ああ もう死ねないな」と思い

 

また明日からも地獄のようないじめにあう日常を生きていかなければならないんだという事実に絶望していました

 

悲しくて…  助かった事が悲しくて…

 

諦めて 布団に戻りました

 

私の両脇の布団ではまだ幼い息子と娘がすやすや寝息を立てており

 

私は…  また明日も私がこの達の朝ごはんを作らなくてはと思い… 死ねなかった事に絶望しつつもどこかホッとしていました

 

子供達が朝起きた時 ママがずっと眠ったまんま起きなかったらどんなにショックを受けただろう

 

そう思うと 死ななくてよかったと少しだけ思いました

 

この時 どうして私は助かったのか…

私は多分 神様が助けてくれたのだと思いました

そしてそれはきっと…本当にその通りだったんですよ

 

神様が私にまだ死ぬなと言ってくれたんです

 

それは私には使命があったからでしょう

 

とにかくその後も苦しい日々は続きました

 

その後も一年くらいは変わらず、ただひたすらガスライティングの嫌がらせに耐える日々で…

 

苦しい。つらい。もう死にたい…

それ以外の言葉が浮かびませんでしたね

それでもダラダラと生きるしかなくて

 

あの日々は地獄以外のナニモノでもなかった

 

🗣🗣🗣

 

それから一年後私は発言小町というサイトに書き込まれた「ピアス事件」をほのめかすカキコミを見つけ

 

そこでやっと気づくのです。一方的に泥棒疑惑をかけられていた事。

 

そのトピは「高価なダイヤのピアスを子供の塾でなくしたんだけど〜」みたいな内容で

 

それを読んでわかったんです

 

一昨年だったか?

あの日塾でバタバタ大騒ぎしてた主婦…

ピアスを落としたとかなんとか言って…

 

でも結局それは見つからず主婦Jは帰って行きました

 

しかし 今思えばなんでわざわざ私と息子のいる教室に「戻ってきて」大騒ぎしてそして帰っていったのか?

 

それはおそらく…私を泥棒の犯人に仕立て上げたかったからでしょう

 

彼女はカボチャのボス女のサイトに「その出来事」を書き込んだのだと思います。さも私が盗んだかのように…

 

後からわかったことですが、この主婦は《実は最初からそんなもの落としてすらなかった。実はすべてがいじめの口実を作るための狂言》だったのです。

 

しかし私はそれによってかなりの誹謗中傷をされていた事になります。他人の私物(しかもとても高価なもの)を盗むなんて!

 

信じらんない!こんなとんでもないでまかせを!?

イジメの為に!?

 

発言小町を読んだ後 私は車で移動中でした。

頭の中で、モヤモヤと小町の内容を整理して…

私はあの女のイジメの為に事実無根の誹謗中傷を

ばら撒かれていたのだという事実に突き当たり

 

私は激怒し叫びました。

「濡れ衣…着せやがって‼️  ❌❌の❌❌‼️」

 

怒りのあまりその主婦の名前を絶叫していました

 

忘れもしない あの日のこと あの日の景色

 

車がどこを走ってて

 

私が怒りのあまり叫んだそのセリフも

 

鮮明に覚えてますねえ

 

それくらい激怒してたしショックだったんです

そんな無責任なでまかせをばらまかれてしかも

そのせいであんな激烈なイジメにあってた事が

悔しくて悔しくて

 

イジメ主婦たちが許せなくて

 

 

 

ということが 2013年(自殺未遂)と

2014年(疑惑発覚)に起きていたんです。

 

 

ピアス事件の捏造は多分2012年か2011年くらいに起きた出来事だと思います。つまり私は2年間以上もこの疑惑について【否定することすら】出来なかったんですね。それなのに一方的にカボチャママたちに虐められていたんですよ…

 

😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡😡

 

ママ友いじめが憎いです

 

あの頃私をいじめた主婦達のこと 忘れられない

 

そして絶対 許さない

 

 

絶対 見返してやる!😡🔥🔥🔥

 

 

 

 

(カボチャクラブのボス女・パート8へ続く)👉🎃