618「躁的防衛」その2

前回に引き続き躁的防衛について語りたい

 

私はこの躁的防衛反応が何故自分に起こるのか

考えてみた

 

多分 過去のトラウマが関係してる

 

🤔🤔🤔

 

過去ブログにも書いてるんだけど…昔まだ幼稚園くらいの年齢だった頃 沖縄に住んでて

 

迷子になってすごく長い時間彷徨い歩いて

 

やっとのことで家に帰り着いた時があって

 

そのとき…家にいた母親に縋り付いて泣きたいと思った

 

めっちゃ不安で怖くて

 

でもその時 母と姉がべったりくっついていて

 

母は迷子になって帰りが遅かったはずの私を

全く心配してもなかった

 

私はそれをみて愕然とした

 

母に抱きつくことすら出来ず ただ立ち尽くした

 

幼少期のトラウマ…

 

「自分は母親に必要とされておらず、自分が危機にあっても全く心配すらしない」

 

↘️↘️↘️

 

私の躁的防衛反応が起こるのはだいたいにおいて

大切な友達が深く悲しんでいる時

または友達が誰かに傷つけられた時

そういう話を聞いた時に起こりやすくて

 

私はそんな時「私が慰めなくては」という気持ちが強く湧き上がる。この気持ちが異常に強く起こってしまうのは幼少期のあの日のトラウマが脳裏に焼き付いているからなのだ。

 

お母さんに抱きついて泣きたかったのに

それをさせてもらえなかったあの日の私と

目の前にいる友人が強く重なり

 

そして「私がこの人を癒してあげなくては。私が抱きしめてあげなくては」という強い衝動が湧き上がるのだと思う

 

異常なほどに その感情は強く起こる

 

そして何故かハイテンションになる…

これの原因は2通り考えられる

 

まずは「自分の気持ちも強く落ち込んでしまいそうになることを脳が予測して、気持ちの落ち込みを防ぐ為に脳が無意識のうちに躁状態を作り出している」これが一つ目。

 

あるいは…自分が母親としての役割をこなす事によってこの人を救ってあげられるのだという気持ちになってしまいそれによる喜びが湧き上がってしまうから…?

 

しかしこれはとても不謹慎なことで…

目の前の友達は悲しんでるのに傷ついてるのに

自分が喜びを感じていてはいけないわけで…

にも関わらずこんな脳の反応が起きてしまうのは

それを自分で制御できないのはおそらく

幼少期のあのトラウマがあまりにも強かったから…

だと思う

 

目の前の友達を救う事によって

あの日深く傷ついて泣くことすらできなかった

あの日の自分を救えると錯覚して

脳が過剰な反応を起こしてしまうんだろうな…

 

 

精神科医でもないのに

自分でこの防衛反応の仕組みを理解するなんて

私って実は頭いいのかもなぁ

 

 

人間の心 脳みそって 

本当に不思議な作りをしている…

 

 

 

おわり❤️‍🩹❤️‍🩹❤️‍🩹