482「カボチャクラブ年表2️⃣その悪虐非道を振り返る」
⭐️1975年 ボスママ 千葉県佐倉市に産まれる
両親はかなり厳格だったらしい。妹が一人いる。
家は藤原氏の流れを汲む由緒ある家柄なのだとか。
⭐️1987年 ボスママ中学生 廊下ですれ違いざま生徒にわざとぶつかり、「ああ!肩が外れたぁ!」などと演技し、因縁をつける。すでに学校ではかなりのいじめっ子だったらしい。
⭐️1990年 ボスママ高校生
第一志望の高校には落ちて滑り止めの高校へ通う
カンニングがバレて捕まる
⭐️1993年 ボスママ 早稲田大に入学
⭐️1996年頃?
在学中にネットリンチで、ある女性を自殺に追い込む
(ちなみに妹もリンチグループの一味である)
…と、この辺までは前回のブログで紹介させていただきました。こっからが今日の本題です。
⭐️⭐️1996年頃
ボスママ 【二人目】をターゲットに定める
その女性はリンチ仲間のうちの一人が「この女をやって欲しい」と【依頼】してきたケースらしい
これもまた恋愛のもつれだ
ボスママは一人目の女性をリンチで自殺に追い込んだ時「ハマった」らしい
つまり自分の扇動によりターゲットを残酷にいじめ抜き自殺にまで追い込むという一連の流れに「ある種の快感」を感じてしまったのだろう
それによって彼女はネットリンチ…集団ストーカー…
イジメ殺人というこのルーティンが病みつきになってしまったらしく
次々に「獲物」を求めるようになった
なので一人目を「殺した」あとすぐまた誰かをいじめたくなった彼女は、仲間が恋愛のもつれで恨みを抱いた女性を「次のターゲット」に定めた
この女性はおそらく当時Jリーグで活躍していた某一流サッカー選手と交際していた女性だと思われる
おそらくこの女性より前にこの選手と交際していた女性が?猛烈な嫉妬によりボスママに「この女をやって欲しい」と突き出した形なのではないかと思われる。
名の売れた有名選手だっただけに執着も相当、強かったのだろう
しかしだからといって自殺させるまで虐めるなんて
カボチャクラブ 恐るべし…
許されまじき行為だ
この【二人目】の女性は
悲しいことに2年で自殺に追い込まれている
⭐️1997年
カボチャクラブ 二人目の女性を死に追いやる
二人目の犠牲者も飛び降り自殺だった
そしてついに3人目の女性がターゲットに選ばれる…
それが この私だった
To be continued 🎃