1123「他者共感性」

 

感情のないロボットみたいな人って魅力ないなぁ

 

人間は喜怒哀楽があるから人間なんじゃん

 

人間は喜怒哀楽があるから魅力的なんだよ

 

しかし!ここで間違えていけないのは

 

幼稚で利己的で感情的な人は喜怒哀楽が激し過ぎる事によって逆に好かれないって事…つまり「喜怒哀楽が激しすぎてもダメなんだよ」って事。その匙加減が難しいとこなんだけどね。

 

 

情動って言葉があるけど

 

人間はどんな時に笑い どんな時に怒り

どんな時に涙し どんな時に悲しむのか

どんなものが嫌いで どんなものが好きなのか

 

そういう「情動」ってものは人によって様々で

 

人間はそういう情動が自分と近い人と一緒にいたいもんなんだよ

 

つまり価値観ってやつだよね

 

そういうのが自分とかけ離れてて自分の感情に共感してくれない人といても幸せじゃないんだ。自分の辛さをわかってくれない自分の怒りをわかってくれない人といるととてももどかしいし「この人は自分のこと愛してないんだ。自分とは合わない人なんだ」って思っちゃうだろ。

 

幼稚な人間は相手の気持ちを想像するって事ができない

 

だから自分の一方的な感情を

他者に押し付けてしまいがちなんだよ。

 

それはとても嫌われる行為なんだ…

 

他人の気持ちに共感する感性のことを他者共感性と言う

 

これがあると他人とスムーズにコミュニケーション出来るのだが、幼少期の愛情不足などによってこの感性が育まれないと…その人はいわゆる「コミュ障」というやつになってしまい、集団の中で浮いてしまいがちになるんだ…

 

まあ私もね…結構それなのかなと思う時はあるんだ

今はそうでもないんだけど 昔はそうだったかもな

 

ただ、コミュ障だからってその人をいじめるのはどうかと思うんだよねえ。なんでその人がコミュ障になったかそこまで考えてあげられる人は立派だと思うよ。「コミュ障だ!こいつ虐めようぜ!」的なことを言うやつの方が私は嫌い。おまえはそんなに協調性にあふれててコミュニケーション能力が高いのならばそのコミュ障の人がなぜコミュ障になってしまったかそこまで想像して優しくしてやればいーじゃない。まあそこまで出来る人は…世の中にそうたくさんはいないがね。

 

それができるのは同じく「不幸な家に生まれたコミュ障の人」なのかもしれないねえ

 

けど…わたしは…

 

友達の気持ちを理解してあげられる人でありたいと

常に願っているよ

 

己の想像の範疇を超えた出来事に遭遇した時

ひとは思考が停止してしまったりもするものだし

言葉に詰まってなんて言えばいいかすら

わからなくなってしまうものだが…

 

私は友達の気持ちにいつも

共感できる人間でありたいなぁ

 

だってみんなはいつも私と一緒に

怒ったり泣いたり笑ったりしてくれるからさ

 

 

自分のまわりにそういう人が沢山いてくれること

 

それはこの上ない幸せだね。

 

愛する仲間がいるうちは

 

人間はこの世に生きていたいと 強く願うだろう

 

 

 

 

 

おわり🧝‍♀️🌎✨