896「もう一人の自分」
男って言うのはやっぱり
プライドを大事にする生き物なんですよ
私が自分のことをまるで男みたいだなって思うのはまぁそういう意味合いもあるんですけど…私もやっぱりすごくプライドが大事だなって思って生きてるんで
こんな自分じゃ恥ずかしいって思うような生き方は
やっぱりできないんですよね
10年位前に
かなり長く育児ノイローゼだった時期があって
その時期に思い切って離婚して家を出るって言う選択もあったかもしれないんですけど
でもやっぱり…できなかったですね 離婚
だってやっぱりまだ子供たち小さかったしあの時期に離婚してたら多分自分の子供たちととても関係が悪くなってしまったでしょうし…その後もおそらく修復不可能な関係になってたかもしれないと思うんです。
そんな人生になってしまって…果たしてそれでよかったと…私は思えただろうか?
あそこで離婚してたら10年早く支援者たちと繋がれてたかもしれないんですよね。でも何度考えてもあの時私はあそこで離婚して子供たちを置いて家を飛び出すっていうことがどうしてもできなかったんです。
私は多分《半端者》になってしまうのがどうしても嫌だったんだと思います。プライドって言うか…
そんな風に中途半端に育児途中で放り投げて出て行ってしまうような母親になってしまったらきっとその後一生自分のことを責め続けてしまうだろうなと思ったし…子供達にも相当嫌われてしまったでしょう。
それを考えるとやはり私はあの時苦しみながらもずっとあの家にいたことを…「でもそれでよかったんだ」って思うんですよねえ
もしかしたらもっと楽な道もあったかもしれないんですけど…あの時の私にはそんな道見えてなかったし
「裏道」を行った方が楽だったかもしれません。けど…
やっぱあそこで大博打打つ事は出来ませんでしたね
そしてそれが正解だったのだと思っていますよ
とても遠回りだったし 歳もとったし 太ったし
けど…でも…
「あの家」で過ごした時間は何ものにも代え難い
幸せな時間だったので…
新しい家があって子供達が笑っていて犬がいて
そして花を育てる楽しみがあって
車で走る楽しみがあって
ドライブ中に聴く音楽があって
それに合わせて大声で歌う幸せがあって
あの時間は…私の人生にとって最高に幸せな時間だったかもしれない。イントラやってた時間も相当幸せだったんですけど、それと同じくらい幸せでした。
育児ノイローゼを「自力で乗り越えた」
その事実がとても大きかったですね
だから私は今の自分のことが結構好きなんです
自分で自分のことを好き。誇りに思える。これは人生においてかなり大切なことなんです。
男はプライドを大切にして生きている生き物です。私は一応女ですけど心の中は男だなと思う瞬間が非常に多くありましてそれは自分がすごくプライドを大事にして生きている生き物だなと思うからなんです。
男っていうのはやっぱり自分に恥ずかしい生き方をしたくない生き物なんです。あの時あそこでああしてればよかったとか後悔して己を恥じるようなそういう生き方はしたくない動物なんですよ。
だからね自分が一度やると決めて始めた仕事を途中で放り出すような格好悪い自分には絶対になりたくないと思って生きてるんですよ男って。
だからそれが私にとっては
【育児】だったんだと思います。
自分の子供っていうのはまるで自分の分身みたいに思えるもので言ってみれば母親からしたら自分の息子や娘は…まるで「もう1人の自分」のように感じるものなんですよ。
だからこそとても厳しく接する時もあるし
愛する時は全身全霊で愛する。
私にとって子供とはそういう存在です
おわり👶🏻👶🏻