839「1997川崎暴行事件」2

今日7月5日は我々革命戦士軍にとって大事な日

 

今からちょうど25年前の今日、

あの残酷で悲しい事件が起きた

 

1997川崎暴行事件

 

早稲田大学在学中だった埼玉県在住の女性(当時22歳)が、とあるグループのリンチによって輪姦、暴行されるという事件が千葉県川崎市で発生した。

 

彼女は一命は取り留めたものの事件によって重傷を負い、しかも妊娠させられてしまった事を苦に、事件から18日後に病院の屋上から飛び降り自殺してしまったのだ。

 

しかもショッキングな事にこの壮絶な暴行、虐待の様子は犯人達の手によって撮影されており、その映像は世間に広く拡散されてしまった。その暴行があまりにも凄惨で残酷であった為、この「映像」は水面下で海外にも拡散されていたようだ。

 

これほど恐ろしい事件が起きたにも関わらず

何故か警察は犯人を逮捕していない。

 

しかし実際には

 

当時千葉県に住んでいた(首謀者2人と実行犯4人を含む)犯人達6人の名前や素性は明らかになっており、「知ってる人は知ってる」という状態なのだ。それぞれが「現在どこに住んでいて何をしているか」も…

 

彼らはこれだけ残酷な事件を起こしていながら

事件発生からの25年、普通に生活している。

実行犯の4人は整備工として千葉で生活し

首謀者の女2人のうち1人は横浜で主婦を、

もう1人は和歌山県で主婦をしていると聞いている。

(2022年7月5日現在での情報)

 

何故このような残忍な事件を起こした犯人達が

その後も普通に生活できていたのか?謎である。

 

恐らく警察でも手が出せないほどの大きな闇の権力がこの6人を警察の手から守っていた。その闇の権力が、何らかの事情で犯人を隠避していたという可能性が高い。

 

そのへんの事情はよくわからないのだが

 

とにかく…この事件の犠牲になった女性のご遺族のその深い悲しみと怒りは言葉に表すことができないほどに痛切なものがある。

 

大切な娘をなぶりものにされ、痛めつけられ、花火で体を炙られ、凌辱の限りを尽くされ…しかもその様子を撮影までされて、晒し者にされたのである。

 

しかし その事件が映像に残された事で

「奴ら」がどれほど残酷な仕打ちを彼女にしたか

それは記録として、証拠として残された。

 

犯人達は何らかの権力により治外法権的な【闇の特権】らしきものを得ていた為に警察権力から逃れる事は出来たのだが、「世間の追及」からは逃れる事が出来なくなった。

 

(こんな事件を起こして、なんの罪もない一人の女性を死に追いやった人間が、その後も普通に暮らしているなんて!しかも首謀者である女二人は事件後、結婚して出産して今も普通に主婦をやってる。こんな恐ろしい事件を起こした人間が!?)

 

非常に恐ろしいし、許せない話である。

 

被害女性のご遺族の無念、怒り、悲しみ、憎しみ、

やるせなさ…いかばかりか。

 

しかも被害者の女性は、「殺されなければいけないような悪い事」は何一つやっていないのに…

 

ただ、首謀者の女2人から「嫉妬されていた。妬まれていた」ただそれだけの理由なのだ。

 

その悪質なリンチグループ(私は奴らをカボチャクラブと呼んでいますが)の主犯格の2人の女は彼女が有名人と付き合っていた事に強く嫉妬していたのだ。そんな理由でリンチされてしまうなんて!しかも虐待の程度があまりにも残酷で常軌を逸している。彼らは完全に狂っている…

 

虐待の間 被害者の女性は恐怖と痛みで激しく絶叫し続けていた。体力が切れた後はもう叫ぶことすら出来なかったのに、それでも奴らは彼女を代わる代わるレイプし、暴行を加え続けた。

 

しかも実行犯の奴らは虐待の間中、終始ニヤニヤと笑い、ふざけて歌まで歌っていたらしいのだ。彼らの残虐性がここでも充分にうかがえる…

 

なんとこの暴行は8時間にも及んだ

 

(7月5日午後7時から 翌6日の午前3時まで)

 

8時間もの間、首謀者の2人の女が見物する中、被害女性は4人の男に輪姦、暴行され続け、気絶することも眠ることさえも許されなかった。彼女が気を失いそうになると男は彼女の顔面をぶつなどして、彼女が意識を失う事を許さなかった。「ずっと意識のある状態で犯し、痛みを与え続けた」のだ。

 

なんと 残酷な…

 

。。。。。。

 

被害女性は犯人達に重傷を負わされ、全裸で椅子に縛り付けられた状態で放置され

 

現場で気絶していたところを駆けつけた兄の手によって保護され、病院に運ばれた。

 

しかしこの病院でも、おかしなことが起きる。何故かアフターピルが処方されなかったらしいのだ。おそらく首謀者の女2人が病院に手を回していたのではないかと推測される。このグループはそれほどまでに悪質で、なおかつ病院の様な施設にまで「圧力」をかけるような事をするのだ。

 

(だからといって従う医療関係者もどうかしている。絶対にあってはならない事だ…これは大きな問題である)

 

とにかくこの無慈悲な仕打ちによって彼女はなによりも恐れていた「妊娠」を回避できなくなってしまった。犯人達は卑劣な事に、リンチを加えるだけではなく確実に被害者を妊娠させたかったのだ。彼女が「望まない妊娠」をする事で、事件の後も絶望感を与え続けて、生きる希望を完全に断ち切り、心を折る事が狙いだったのだ。

 

635のブログにも書いてある通り、この事件で犯人達が行った凌辱行為は筆舌に尽くし難いものがある。こんな恐ろしい事件がこの日本で起きていたなんて…しかも警察が動かなかっただなんて。信じられない話だが事実なのである。憤懣やる方ないとはこの事だ。

 

。。。

 

…我々革命戦士軍はこの事件を起こしたカボチャクラブと、長年戦い続けてきました。

 

今日は事件から25年目の記念日なのです。

 

このような忌まわしい出来事に対しても「記念」という言葉を使ってよいのか?と躊躇ってしまう程、悲しい…そして許せない事件。

 

我々はこの事件を決して忘れないし、

カボチャクラブを許さない

 

私は亡くなった被害女性の次にカボチャクラブの「ターゲット」にされた人間です。言わばカボチャ女達の暇つぶしの為に捕まえられた生贄なんです。

 

つまり少なくとも25年近くはストーカーされていた計算になりますね。とにかく私は…2017年頃にある事がキッカケで、「私を救うために組織と戦ってくれていた人達」の存在を知ったのです。

 

非常に驚きました。それまではずっと一人でガスライティングと戦っていると思ってました。見えないところに沢山仲間がいてくれてたなんて、知らなかったんです。

 

とにかく私は彼らと協力し、カボチャクラブと対抗し続けてきました。我々革命戦士軍はカボチャクラブの壊滅と「ターゲットである私自身の解放」を目指し日夜戦い続けてきました。

 

 

その戦いはまだ 続いています。

 

 

 

おわり🧝‍♀️🌎